母に捧げる

☆メリークリスマス☆

 


が、過ぎ去って、あとは除夜の鐘を待つのみ。

 

 


一年で一番、穏やかな気持ちの夜を
迎えられるのがこのシーズンなのは
僕だけでしょうか?

 

 

今朝は、クリスマスの朝。

 


飛び起きた子供たちが
枕元にあるプレゼントを見つけて
大喜びする朝。



僕にもサンタさんから、毎年
プレゼントと手紙が来ていました。



小学校何年生まででしょうか
毎年、欲しいと思ったものが
枕元に置いてありました。



サンタさんが、いったい
どこの国から来ているか知らないけど
日本語の手紙で、僕の呼び方も
ちゃんとあだ名で書かれていた
ことを、覚えています。



もらったファミカセは飽きたりもしたけど
一緒にもらった洋服だったり
念願だった野球のグローブは
凄く長く使った覚えがあります。



グローブに書かれた僕の名前は
サンタさんの筆跡と同じでした。



ある年からは
プレゼントが置かれなくなりました。



でも、それが無くなったのが
いつからだったかは覚えていません。



朝飛び起きて嬉しかった時の気持ち

それを母に見せに行く時の
なんか誇らしいような
あの気持ちは忘れません。



笑顔でそれをみて
「良かったね」と言ってくれた
ことは、よく覚えています。



僕は可愛く言えば
やんちゃで、結構周りに
迷惑をかけたので
母は、とってもたくさん
僕の事を叱りました。



もちろん、叩かれたこともあります。
でもその時、母は泣いていました。



普段、ちょっとしたことで怒られた時の言葉は
特に覚えていません。当たり前の日常すぎて。


でも涙を流しながら
怒る母の姿や声色は
今でも思い出すと胸が詰まります。



幼馴染の複数家族で旅行に行った時
女の子の背中に
「ブス」と書いた紙を貼って
怒られたこともありました。

今思うとヒドイな(苦笑)


あの時も涙を流して
とても怒りながらも、
とても切なそうだった。



周りのお母さんたちが代わりに
僕を叱ってくれました。



たくさんの母達が僕の周りに
いてくれたおかげで
僕はタダのやんちゃ坊主なだけで
それ以上、悪くならずに済みました。



僕の結婚式には、幼馴染の母達を
全員招待しました。

 

というか、結婚報告に行ったら

「で、式はいつなの?予定空けとかなきゃ」

 

と、当然のように参加表明してくれたので

呼ばないわけにはいきませんでした(笑)


ありがたい彼女たちの存在が僕の
自己肯定感を育ててくれました。



小学校時代、母に怒られたのが悔しくて
家出をしたことがあります。



とは言っても、裸足で自転車こいで
丘の上の公園に行ってブランコを
漕いでいただけだけど・・・



冬の公園でブランコに
揺られるのも
結構寒かった・・・



ブランコに座ったまま
木の枝をつかって
砂の上に書いた言葉は

「ママだいすき」

でした。



寂しくなって家に帰って
玄関の前で咳払いを繰り返して
存在アピールしたのも
懐かしい思い出です。



帰ってから怒られた記憶はありません。

きっと、温かいお風呂に入れてもらって
穏やかな気持ちで寝たのだと思います。



どんな時でも、子どもは
母の事が一番好きです。



この一年、皆さんも子育てしながら
色んな事に悩み、苦しみ
時には大きな声を上げた事もあるでしょう。



こんな自分で良かったのかな?
と、自問自答するかもしれません。



でも、大丈夫です。
 絶対に子どもは母の愛を理解しています。



自分を産んでくれた母こそが
何よりも大事な存在です。



世界に一つ真理があるとしたら
それじゃないでしょうか。



それくらい、母という存在は
偉大ですし、絶対です。



お読み頂いた全てのママ達に
感謝の気持ちを込めてこの
コラムを送りたいと思います。



そして、明日が誕生日の
私の母に、捧げさせてください。



それでは、良いお年をお迎えください。
また来年もよろしくお願い致します。