愛し愛される人になる

このところ、高齢者の起こす自動車事故のニュースを

よく耳にします。

 

キッカケは、横浜市で起きた小学生の登校列に

80歳超の高齢者が運転する車が事故を起こして

突っ込み、1年生の男児が死亡した事故でしょう。

 

あの事故の被害者となった男児は私の

同級生の息子さんでした。

 

お母さんとなった同級生は、気丈に

SNSに想いを書き込んでいました。

人・社会への恨みつらみ等は全く無く

愛する人に想いを伝えることを忘れないでという

メッセージがそこにはありました。

 

想いを書き込むことで彼女の救いになると

いいなと、願うばかりです。

 

「老い先短い人に“殺される”のは勘弁」

「75歳過ぎたら、免許なんて返納しろ」

 

そんな意見も溢れ出ますよね。

それは当然。自分だってそう思う部分もある。

心の中に【TRUMP的発想】は渦巻いているもの

じゃないかと思います。

 

また、70代の人は自分の運転に

自信を持っている人の率が、若い世代より

多いというのも事実。

 

頭は固くなっている。俺は正しいと思ってる。

体の機能は落ちている。でもまだできると思ってる。

 

事故起こしてから

 

「こんなはずじゃなかった」

 

じゃ、ただのバカなんだから、早いところ

自分と向き合うのが正しい大人じゃない?!

 

全員そんなことできるわけないから

全員免許返納にさせよう~!

 

というのが、仕組みで世の中の安心を作ろう。

ってことでしょうし、将来は自動運転が出来れば・・・

 

という話も出てくるでしょう。

 

それよりなにより、高齢者が一人で車を運転して

出かけないと生活できない社会が、美しいかどうか。

 

「病院に通院するのに

車じゃないと不便」

 

そもそも病院に行く人が運転って・・・。

 

「たまに会う子どもや孫を

車で送って行ってあげたい」

 

たまにしか会わないから、特別なことをしないと

愛情を伝えられないと思ってしまう。

 

家族はやっぱりなるべくそばにいて

年老いてもまだまだできる強さも、出来なくなった

弱さもすべて見て分かって支え合えるのが

家族の在り方なのではないかと思う。

 

自分の考えが正しいかはわからない。

色んな事が、ズレているかもしれない。

 

でも、弱い人が糾弾されるような世の中は

全然魅力的じゃないと思う。

 

利便や効率が大事なわけではない。

全てを効率化したいなどという言葉を

バラエティで堂々というようなアホ党首が

野党にいる限り日本は良くならないと思う。

 

心の根っこを、しっかり育ててあげられるような

そんな親が増えればいいなと思います。

 

結局は僕ら一人一人の責任。

目の前の子ども達に

精一杯の愛を注ぎましょう。

 

大きくなっても、世話になったあの爺ちゃん婆ちゃん

に会いたい!と、いつも訪ねてきてくれるような

そんな人間になれたら最高ですよね~。